パラリンピアンとオリンピアン

「TOKYO!!」
「ワァァァァァァ‼‼」
2013年、東京開催決定のあの歓声の瞬間から、8年越しとなって開催された東京オリンピック&パラリンピック。いつからか、あまり表立って「オリンピック楽しみ♪」とは言いにくい世の中になってしまったが、私はずっと楽しみにしていたし、わりと「楽しみ♪」だと公言していた。
なんやかんやで、盛り上がった夏。
暇さえあればテレビ観戦をしていた。
もし東京開催じゃなければ、こんなにもパラリンピックを見ることはなかったのかもしれないという気持ちを抱いた。
同時に、パラリンピックの選手がオリンピックに出場することはできないのだろうか?という疑問が出てきた。
すると、いたのである。(浅学で恐縮である)
「先天的に右肘から先がないポーランドのナタリア・パルティカ選手は、東京五輪にも出場した。卓球女子シングルスで1勝し、パラの同種目で銅、団体では金メダルを獲得した。
「五輪とパラを近づけるのが私の目標だ」と語った男子走り幅跳び出場のドイツのマルクス・レーム選手。パラ陸上では8m62の世界記録を持つ。」(読売新聞2021年9月7日)
レーム選手はオリンピックに出場することはできないのだろうか?
「義足が有利に働いていないことを選手側が証明しなければならない」などの科学的根拠、制度整備等、色々と難しい事情はあるのかもしれないが、本人が希望するのなら出場できる、いつかそれが当たり前な時代が来たらいいと私は思う。
スポーツは「相手との勝負、自分との勝負」という側面と、「生涯スポーツ」いう側面があるのではないか。後者の意義を考えるのなら、そこに障害の有無で競技者を分けてしまうのは違和感を覚えるし、非常にもったいないと感じるのだ。
パラリンピックで何度も出てきたキーワード、「We The 15」、世界の15%の人には何らかの障害があると考えられている。
東京パラリンピックを追い風に、障害の有無に関わらず楽しめるスポーツの環境づくりが広がりつつある。障害のある人もない人も共に記録を競い合う水泳や陸上、ボッチャなどに注目が集まる。
スポーツは誰にとってももっと身近で、もっと楽しめるようになってほしいと思う。
(written by HIROSE)
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